展示解説

「デザイン」は、
絵を描くだけじゃない
1.展示テーマについて
今回の展示テーマ(最も伝えたいこと)は、「デザインは、誰にだって可能だ」ということ。ここでいう「デザイン」とは、単にイラストを描く等の表層表現を指すのではない。骨格・構造設計、要件定義、そして戦略立案も含めた総合的な「デザイン」プロセスを指している。そのような意味での「デザイン」は、表現活動に関わる或いは関わる可能性のある人々が増加している現代において、誰にでも必要であり、誰にでも可能なのだ。
このテーマを考えるキッカケは、5年間勤めていた塾講師経験にある。中学生に美術科目の指導を行う中で、現行カリキュラムでは、生徒が「なぜこれを学ぶのか?」「学んだことが何に繋がるか見えづらい」といったネガティブイメージを受けざるを得ない内容であると感じた(例えば身近な風景を描いたり美術史を丸暗記させるような内容である)。
それでは、どうすれば美術科目に学ぶ意義を見出してくれるのだろうか?問題を分析すると、以下の2点が見えてきた。①美術と自分たちの生活の間に距離があるため重要性を感じにくい。②美術を実践する(あるいはデザインをする)という行為を、単なる表層表現(絵を描く、工作をする)でしかないと捉えている。
まず①に関して、これは現在の美術科目において成績評価に用いられる実践課題(例えば夏休みに与えられる風景画課題)に起因している。これを改善するために、例えば「あなたが友達に薦めたい商品のポスターを作ってくる」という課題だったらどうだろう。生徒の興味と密接に関わるから意欲的かつ計画的になるだろうし、伝達相手の分析も深めることもできる。アウトプットにおける表現力だって意欲的な課題の方がずっと養われるはずだ。
そして②に関して、あえて過激に言うならば、表層表現を学ぶことは過大評価されている。それ以上に重要なことは、表層表現の背後にあるものを学び、それを生徒自ら構築することではないだろうか。表層表現の裏には、生徒彼ら自身が表現しようとするものの土台となる戦略や印象を左右するレイアウトの意図、含める必要のある情報(要件)、コンテンツによってもたらされる効果等が存在している。
すなわち表現のバックグラウンドと向き合うことで、美術科目実践の目的が「どこか遠くに感じる表現手段自体」ではなく、「彼らの意識と密接にある情報を伝達すること」となるのだ。その結果、必然的に最適な表現手段を選択することにつながる。
退屈な授業を脱し、目的意識を持った主体的な美術学習を実現するには、骨格・構造設計、要件定義、そして戦略立案も含めた広義の「デザイン」を(簡易的であっても)学ぶことが重要だ。
さて、ここまで中等教育における美術科目のカリキュラムデザインについて述べてきたが、当初の卒業制作テーマは「中等教育における美術科目のカリキュラムをデザインする」というものだった。しかしながら、テーマ自体の複雑さと私の力量不足故に、伝えたいことが鑑賞者の皆様に十分伝わらないのではないかという結論に至った。
そのことから、先に述べた「戦略・意図・効果等を考え、設定した情報伝達目的に最適な表現手段を選択する」という思考姿勢を、皆様にも簡単に体験してもらう方針となった。この方針を明文化したのが、今回の展示テーマ「デザインは、誰にだって可能だ」である。
昨今、Youtubeといった動画投稿プラットフォームやTiktok等のSNSに誰もが自分の映像作品を投稿するようになり、CanvaやAdobe Expressを始めとする無料編集アプリの普及によってグラフィック作品の制作も容易になった。
「デザイナー」の肩書を背負わない多くの人が表層的デザインに関わるようになった現代において、肩書きを背負って働く「デザイナー」に重要なことの一つは、アウトプットの前段階にある工程を丁寧に行っていくことだと考える。つまり前述の「戦略・意図・効果等を考え、設定した情報伝達目的に最適な表現手段を選択する」という思考姿勢を貫くことが、これからの職業「デザイナー」にとって重要なのだ。
一方で、戦略・意図・効果等を(多少なりとも)考えていくことは、必ずしも「デザイナー」だけに必要なことではない。社会に蔓延る課題の多くは、表層だけ掬ったとしても根本原因には辿り着けない。背景情報を整理する中で見えてくるデータ等の具体的要因、そして湧き上がる感情や行動の源泉となる欲求といった主観的要因の双方を捉えることが、表現を通したあらゆる課題解決には必要なことだと考える。
興味深いのが、こういったことを非「デザイナー」の皆様も日常業務の中で実践しているということだ。具体例を示すならば、小さな単位では、同僚とのコミュニケーションにおけるメッセージの伝達方法等であり、大きな単位では、言えば流れの激しい市場を生き抜くための対外的なプレゼンアピール等である。
それを踏まえると、日常業務において皆さんと「デザイン」することは、思いのほか距離が近い関係にあると言えるのではないだろうか。20世紀に比べ、遥かに多くの人々が表層表現に関わるようになった今世紀では、突き詰めて言うならば、社会生活を営む誰もが「デザイナー」になってしまうのがいい。
以上のことから、テーマ内にある「デザイン」とは、単にイラストを描くとかwebサイトの装飾を作るとかの表層表現だけを指すものではない。ここで定義されている「デザイン」は、課題における具体的要因と主観的要因を分析し、解決に向け最適な手段を選ぶということも含意している。
社会が人の行動によって構築される限り、売上や集客数といった集積データと個々人が抱える感情や欲求といった属人的意識の両方をバランス良く見る力は、社会生活の中で必要不可欠だと考える。私の主張を通して、「デザイン」に対して新たな視点が生まれてくれれば嬉しい。



2.なぜ取り扱う問題が
「商店街からポイ捨てを減らす」なのか?
「ポイ捨て」という言葉を知らない人はいない。知らないどころか、誰もが街中で「ポイ捨て」されたゴミを見たことがあるに違いない。さらに踏み込めば、相当数の人が一度は「ポイ捨て」をしたことがあるのではないだろうか。すなわち、「ポイ捨て」の問題は、多くの人が不利益を被る側・与える側になったことがある問題なのだ。
故に多くの人がこの問いに対する主観的(捨てる側と捨てられる側の気持ち)および客観的(対象地域の衛生環境というマクロ視点)理解の水準が高い。したがって「ポイ捨て」は、この展示会に参加した皆様にとって解決策を考えやすい問題と判断し、今回の問題に設定した。
3.世界観について
ご覧のように、今回の展示は1950年代後半からアンディ・ウォーホルらによって確立されたポップアートを意識した。ではなぜそれを意識する必要があったのか?その理由は、ポップアートが成立した背景を振り返ることで見えてくる。
ポップアートが生まれる直前、近代アートは、20世紀初頭に生まれたキュビスム、フォービスム、シュルレアリスム、さらには抽象主義といったように、誰もが理解できるような表現からは離れたもの(ハイアート)が隆盛を極めていた。ヨーロッパを発信源としたハイアートが主流であった時代に、アメリカの躍進と共に出現してきたのがポップアートであった。
流行の表現に対する反発から生まれたこの派閥は、苛烈な色彩表現と一般社会に普及したモチーフ(国旗、有名女優、缶詰スープまで!)を取り上げることで、結果的に一部の専門知識を有するものの間だけで消費されるという従来の芸術が持っていた特権性を排することに成功した。すなわちアートの大衆化に成功したという歴史がある。
改めて、今回の展示テーマは「デザインは、誰にだって可能だ。」である。このテーマについて述べたことを振り返ると、「『デザイン』能力は表層表現だけを取り扱う能力である」という認識は誤りであるといえよう。誰もが表現活動に関わっている或いは関わる可能性のある今日において、「デザイン」という言葉は、骨格・構造設計、要件定義、そして戦略立案も含めた表層表現を指す用語である。
このように定義された「デザイン」は、例えば一般的なビジネスにおける事業・機能別戦略およびその実践と重なる部分も多いのではないだろうか。つまり「デザイン」とビジネスの領域は、実際のところかなり曖昧である。今日において「デザイナー」以外の人々も何かを「デザイン」する機会は増加しており、かつてに比べて、それはずっと大衆化しているのだ。
以上のように、本解説において私は「デザイン」という用語のパラダイムシフト(センスや技術を頼りにイラスト等を生み出すこと→緻密な設計を元に最適な表現手段を選択すること)に挑戦し、「デザイン」することが現代社会において大衆化してきていることを述べてきた。
卒業制作全体を貫くこの批評を踏まえると、アートを新たに解釈し大衆化させたポップアートと今日における「デザイン」の変化を重ねて見ることができる(と私は勝手に思っている)。
したがって今回の展示がポップアート的世界観であるのは、第二次世界大戦後、アート・ワールドに新たな風を送り込んだポップアートの先駆者に向けた敬意を根拠としている。
4.タイトルについて
17世紀に市民社会を紐解く著書を残したトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)の有名な言葉、「万人の万人に対する闘争(A war of all against all)」のオマージュである。
私は「デザインは、誰にだって可能だ」ということを何度も主張したい。このテーマが少しずつ実現していったとき、形成されゆく社会の姿とは、あらゆる人があらゆる人に対して、根拠と思いやりを前提にした適切な表現を行うことができる社会である。
「A DESIGN OF ALL AGAINST ALL(万人の万人に対する「デザイン」)」とは、私から社会の未来に向けた言葉である。この言葉の実現に向けて、私はデザイナーとしてのキャリアを歩んでいく。